昨日今日、私の周りで中学一年生で習う数学の話が続いたので、少しでも参考になればと思い載せます。
”マイナス記号”について
【問題】
「太郎君は、くまモン先生に、タワシを10個もらいました。花子さんは、くまモン先生に、タワシを3個もらいました。太郎君は花子さんより何個多くタワシをもらったでしょうか?」
小学生で出てくるこの問題は大変難しい問題です。
私はこの手の問題(教育界隈では「太郎花子問題」といいます)が嫌いです。
小学生だった私は、太郎君がひいきされてるのか?それとも逆にいじめられいるのか?そもそもなぜタワシなのか?「わたしにタワシ😂」をくれようとしている先生は何を考えているのか?国語の問題、社会問題に拡がっていきます。
そんな風に読むSちゃんが嫌いではありません😉
算数として、以下のように解くとマルがもらえます(多分)。
「10-3=7 答え(太郎君は7個多くもらった)」
このとき、式「10-3=7 」を発声すると「じゅう”ひく”さん”は”なな」と言います。
これは、二人がもらったタワシの「差」をだしたことになります。「引き算」を漢字一文字で「差」と置き換えることが出来るらしいです。
中学生になって「数学」と名前が変わった瞬間から「じゅう”マイナス”さん”イコール”なな」と発声します。(中学生以上でそうしてない人はそうしてくださいね!)
同じ表現ですが、概念的に変化をした(観点が拡がった)のです。
そこが分からないと、真面目な人ほどツマズク原因になります。
実は、数学的な思考をしなくても機械的に計算はできます。ただ、計算自体は、計算機の方が早くて間違えません。
この「マイナス」という概念は、当時のヨーロッパにおいても受け入れがたいものでした。
長い年月をかけて浸透した概念なのです。
「数学」(算数ではない)を学ぶことは、その人の概念(見方)を拡げる重要なチャンスをくれます。
そこに時間をかけて納得した人ほど、分からない人、出来ない人に「親切」「寛容」になれます。
今の時代に必要な力ではないでしょうか?
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数え歌 (火曜日, 09 7月 2024 10:24)
≪…「数学」(算数ではない)を学ぶことは、その人の概念(見方)を拡げる重要なチャンス…≫を、数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】の平面・2次元からの送りモノとして[「ヒフミヨイの歌」]の精神(魂)で取り組みタイ。
数の言葉ヒフミヨ(1234)は、[数の言葉の量化]と[言葉の量化]との[分化・融合]をなかだちしているのが数学符号(+ - × ÷ √ =)で[シンタックス]を獲得し、十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号(i e π)と[∞](無限)を繋ぐ[1][0]その他の[2 3 4 5 6 7 8 9]をカタチの[ながしかく](『自然比矩形』)と[〇](円)など[セマンティック]でウマクウマク纏め上げている。
数学の分野での言葉の[点・線・面]は、カオスな[地・形]のゲシュタルト崩壊からの創生を〇(円・π)と□(真四角・1×1)と観えてくる・・・
自然数のキュレーション的な催しを、森田真生先生に希タイ・・・