先日ある方との話の中で「何の勉強をしたら良いか分からない」という言葉が出てきました。
真面目に学校教育を受けてこられた方に、こんな方が多い気がします。
今やプリントがないと、勉強できない子ども達。「勉強が終わった」という言葉も聞きます😲
私が考える「学力」とは文字通り「まなぶちから」です。
これはジャンルを問いません。「学力の高い人」は、どんなものからでも「まなぶちから」のある人です。
「まなぶちから」の高い人は、予想外の出来事に、未知の現象に対して、最悪の対応を避けられる可能性が高いです。
「まなぶちから」の低い人は、その場しのぎの対処をしがちです。そして、行動の基準は「みんな」です。自分の経験を、人の経験を当てにします。
何が違うか?それは、現在過去未来のどこを生きるのかに目を向けているか?です。
鍵山秀三郞師「後味の良い生き方」という言葉があります。
今をどう生きるか迷ったときに、未来の自分が「後味が良い」選択をしなさいという意味だと思います。
畑を作っていると分かりますが、今の行動基準は、未来です。
半年先の収穫、その次の植え付け、その次の・・・「今だけ良ければ先のことはどうでもいい」ということをすると自分の首を絞めることになります。自然を相手にする職業の方はみな、そうだと思います。
農業従事者の割合が変わると、学び方も変わるのでしょうね。
今の国会議員で農業経験者の方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?
教育は、次を生きる人のためにあるのだと思います。
今だけを考える人には「学び」はいらないですね。
「今だけ、自分だけ」これをまったくの異業種の鍵山秀三郞師に戒められてきました。感謝しかありません。
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