4月 数楽の会

4月15日(日)新生【数楽の会】を開催することができました。ご来場ありがとうございました。

 

退職後初めての開催ということで、私の中ではリスタート(再生)の意味がありました。

期せずして午前中は下関・宇部・萩・山口の合同掃除に学ぶ会で鍵山記念館、耕心の里をきれいにした後、松岡さん、高橋さん手打ちの美味しいお蕎麦をいただいた後という、超贅沢な気持ちの良さの中でできることに感謝しています。

また、新月を迎える日で転換期バリバリ感ただよう日でした。

 

冒頭、鍵山相談役のお言葉から紹介。

会でもお話しましたように、ずっと何のお言葉からスタートしようか?と悩んでいました。

一週間前にやはり初っ端は「凡事徹底」であろう!と決めました。

そして『一日一話』を開きましたら、なんとなんと!4月15日にこのお言葉があるではないですか!!!

本当にびっくりしました。いや、こんなことがあるのか!と神の配剤に違いないと確信しました。

 

この『一日一話』は発刊されて14年が経ちます。

教員室の机上にずっと置いていました。(『森信三 一日一話』と共に)

その日の、その月のお言葉を毎日朝礼前に読んでいました。(身心の健全化のために(^_^;))

 

私は本を疑って読みます。理由は2種類あります。

1つは、自分自身を疑うということです。「きちんと読めているか?己の精神状態、身体の状態は今どうなのか?」また、「その言葉の解釈は本当にそうなのか?」という問いを持ちながら読みます。毎年違う読み方ができてくることに驚けるのです。

もう1つは、本そのものを疑うことです。これは文字化することの宿命なのですが、その時に書いた、または喋ったことは、その時のことである。ということを分かっているか?という問いです。

著者がその時に書いた、喋った、思っていたことと、現在は違うかもしれないということを含んでおかなければならないと思うのです。(もちろん変わらないこともあるでしょう)

 

人は日々刻々と変化します。

 

または、同じ言葉でも、本で使ってある言語と自分が日ごろ使っている言語のニュアンスが違う場合もあります。その方の置かれてる境遇、時代背景、と現代の自分の置かれているそれと比べながら読まないといけないと思っています。

 

先にも述べましたように文字化の宿命ではありますが、「凡事徹底」という言葉だけが独り歩きしてやしないか?そんな問いを投げかけさせていただきました。

 

皆さんが眠くなる頃を見計らって「ミニひもトレ講座」。身体の不思議を体感していただきました。

御大の「うそじゃろ!」が嬉しかったです(^o^)

 

そして、岡潔の紹介と「日本的情緒」より、日本人にとっての「善行」とは何を指すのか?について皆さんと考えることができました。

 

駆け足で盛り沢山で声枯れで申し訳ありません。

今は「私はこんな話がしたい人です」アピールキャンペーン中ですので(どんなだ?)「もっと詳しく」とか「もっとゆっくり」などのご要望がありましたらお気軽にお申し出ください。

 

この会は人数を多く集客することを目的としていません。

小さく、回数を多く、一人一人のお顔が分かる、声が届くように心掛けています。

出張もいたしますのでお気軽にお声掛けください。

 

終了後、私と岡本さん小林さんは記念館の整備をしました。松岡夫妻重枝さん松田さん部坂さんも遅くまでお手伝いいただきました。お疲れ様でした。

 

本当に気の良い仲間が集まると気持ちがよく心地よい空気が流れます。

感謝申し上げます。

ありがとうございました!