本日のお説教から。
「受験するということの目的は?」と尋ねた。
回答の中に「自分の実力を測る」というのがあったので、まずはそこから。
「それを主客倒錯というのだ。それは出題者がすること。君たちは測られる側である。」
また、「自分の実力を試す」というのもあったので、「例えば100m走の試合で、自分のタイムが何秒か分からない選手がいますか?」「プロ野球の選手が試合の目的を聞かれて、どこまで飛ばせるか試すためです。と言って打席に入りますか?」と質した。そういうことは練習でできますね。
ただ、「点を取る」「合格する」という回答ももちろんあった(*^_^*)
当然というか、その生徒達の成績は良い。
大まかにいうと、成績の向上が難しい生徒は色んなことが「他人事」なのである。
先ほどの「実力云々・・・」(でんでんではない・・・(>_<))といった生徒は、どこかでその言葉を聞いて、そのまま喋っているのである。日頃の学習をしないための言い訳と考えてもいい。
こういった生徒は、試験中、妙に考え込む。手が動かず、一生懸命考える。私から言わせれば、「考えるふり」である。
その問題が、学習してきたことなのか?今の自分に対応できる問題なのか?という視点はない。
学習していない問題が時間内に解けるほどの実力の持ち主ならば、すでに成績は高い。
100mの競争中に筋トレをしているようなものなのだ。だから点数は散々なものになる。
そして、「テストがムズイ」という(^_^;)すべてが他人事・・・
「出題者の気持ち、意図を考えたことはあるか?」とも尋ねた。
やはり、何人かはポカンとしている。「例えばフィギュアスケートで4回転ジャンプを選手が跳ぼうとするのはなぜか?」と聞いた。「点数が高いからです。」と正解を言う。「スピンはなぜするの?」「表現力や美しさを見られるからです。」その通り!
その問いにおいて、何を聞かれているのか?何を試されているのか?を把握しない問題は、基本的に解けません。「計算の正確さ」「時制の書き換え」「単なる知識」などのどの分野を尋ねられているのか?を読み取ってますか?
「文脈」というものは目に見えない、「意図」というのも目に見えないし聞こえない。
しかし、読み取るとは、ここにいないはずの出題者の気持ちや声が聞こえることだと思う。
そして、その能力を高めることを「学習」というのだと思う。
このことについてはまたいづれ・・・
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松村きみ (木曜日, 07 12月 2017 20:11)
難しーい!何度も読み返しました読み取ることの難しさ!ただ感じましたのは日頃使ってない頭の部分をつかっているのを感じました。ふくふく忘年会と掃除の会ご参加ありがとうございます�(^_^)/
藤野 (金曜日, 08 12月 2017 06:35)
松村きみ 様
お読みいただきありがとうございます。コメントも深謝。
日頃の生活では脳の9割は使ってないそうです。そう言っていただけると書いた甲斐があります。
未だ眠っている能力を呼び起こしましょう!(^o^)
お掃除と忘年会のお世話、お疲れ様です。お誘いありがとうございます。