10月特別講座「講師 森田真生先生」

10月22日、台風接近の中、森田真生氏に来ていただきました。
雨の中を多数おいでくださいましてありがとうございました!中には九州から駆けつけてくださった方もいらっしゃいました。
体育館での開催でしたので、始まる直前まで森田氏とうちの子供たちでボールの投げ合いをしてました(笑)彼はバスケットボールが大好きで、動くことも大好きな数学者なのです。
『アリになった数学者』の発売後ということもあり、「数」が捉え方、捉えるものによって違うものだと教えていただきました。「読み・書き・数学」をすることによって人は変わってくことができる。そんなメッセージをくださいました。
お忙しい中をありがとうございました。

コメント: 4 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    数哲句(「肉中の哲学」) (火曜日, 01 3月 2022 12:32)

    運ぶモノ光る水玉数えられ
          絵本「アリになった数学者」

     長閑から等閑するは□生り
          (□とはながしかくから紡ぎだす)

     紡ぎだしもろはのつるぎ絵本アリ
          (レンマ学ヒフミヨ込めたカタカムナ)

  • #2

    ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな (木曜日, 02 6月 2022 10:52)

    【1とは何か?】の宿題を頂いてます・・・

    その風景は、5冊の絵本で・・・
    絵本「こんとん」
    絵本「みどりのトカゲとあかいながしかく」
    絵本「哲学してみる」
    絵本「わのくにのひふみよ」
    絵本「もろはのつるぎ」

  • #3

    √6意味知ってると舌安泰 (木曜日, 15 12月 2022 17:10)

    数の言葉ヒフミヨ(1234)を静的に捉える2次元(平面)は、『自然比矩形』
    数の言葉ヒフミヨ(1234)を動的に捉える2次元(平面)曲線(渦巻・放射線(法線))は、『ヒフミヨ矩形』『ヒフミヨ渦巻』

  • #4

    立石に春風巻きてヒフミヨに (大和のモナドの杜) (火曜日, 09 7月 2024 06:25)

    SNSでこんな記事を観る。

    ・・・ ・・・ ・・・ 

     森田真生氏は、「数学の演奏会」などでライブ活動もされ、平成28年10月に「数学する身体」を上梓されている。数学のライブと銘打って話をするとしてもその人自身の持ち味だけでは、食することなしで、なかなか話しその物だけで饗しきれないが・・・。
    そこには宇宙(地球)に人類が登場して以来の数学というものが、多川俊映興福寺貫首の「心の中こそあざむかないで」のコラムで『菜根譚』より「暗中で欺瞞しない」と引用されている、その事と共鳴してある意味、数学の話が「心の豊かさ」を体験できるからだ。貫首の「・・・社会的ないかなる評価もおよばない世界、それこそ、まがい物でない心の豊かさです。」これがライブで実感できるのだ。
    私が学校での数式の出会いとその後の道具としての数式の出会いがスッキリしないで、ズーット靄が漂っていた。氏のライブと心通わすにつれ、ゲーテの「あらゆるものは、隠喩(メタファー)だ」の大げささは無いにしても、数式と向き合う自分自身の心が何か、氏の敬愛する岡潔の『感情がする数学』と共感したのだ。
    私の靄の彼方に、次々と現れた言葉・・・全称量化数式、存在量化数式、二階述語論理、有限な離散有理数集合の多変数関数論、対称性、ガロア群、アーベル群、ラグランズ対応、圏、層、保型表現、数学の状態方程式・・・これらを朧げにも掴んだ・・・。
     子供の時に抱いた志は、大人に成るにつれこの活用動詞は、大概、その人それぞれの精進などにより変容する。「もっと大人に成れよ」この一言が、志を消滅させている一因でもあるのだが・・・。
     しかし、私の「大人に成れない」案件(志)は、人類が獲得してきた数覚にそぐわないことは、断固として受け入れられないという事だ。したがって、不幸にして、「心の豊かさ」を保ちつづけることはできない。
     氏の数学ブックトークからの『数覚とは何か?心が数を創り、操る仕組み』や『身体化された心』などの散見する教えから、数学というものは、「身体化された心」から生み出されたものだとの事、つねづねライブで滲み出てくる。
    『数覚とは何か?心が数を創り、操る仕組み』の気に留めた抜粋を記させて頂く。
     「数学が、なぜこうまで情熱や憎悪の対象となるのかを理解しようとするなら、合理的計算と同じくらい、感情の法則にも注意を向けなければならないのである。」
     「抽象的な群論が、すべての知識をずっと短く、厳密な形で要約しているというのに。」
     「私たちの心の構造が、世界を不連続の物に切り分けるのだ。これこそが、私たちの数や集合という直感的概念なのである。」
    カントの言葉として、
    「数学が究極的に真実であるかどうかは、その概念が、人間の心が構築したものである可能性の中にある。」
    ガロアの言葉として、
    「この科学は人間の心の働きであり、それは、知るというよりは研究し、真実を発見するというよりは、探索するように運命づけられているのだ。」
     氏にこの志の何たるかをライブする機会のあることを願っている。  
                       合掌

    ・・・ ・・・ ・・・

    岡潔数学体験館で、[氏]に自然数のキュレーションの風景を語る催しがあるといいなぁ~