新学期始まる

平成29年度の新学期が始まりました。なんと初めての2年連続3年生担任となりました。今まで25年間順調に1年生→2→3→1・・・と来ていただけに私も生徒も驚きました。ただ、驚いただけで、面白いと思う自分もいました。勉強を続けているとそういう想定外のことが起こっても慌てないのだなーと実感しました。
しかし、先日、推薦書、調査書を書いて、センター試験といわゆる2次試験が終わったばかりなのだけど・・・(本音(笑))

早速、生徒と入学式に向けての大掃除をしました。
廊下の掃除をするように指示しました。掃除を嫌がる生徒はいません。ただ観察しているとみんなで固まって廊下の真ん中を磨いてます。
私「そこは汚く見える?」
生徒「???」

私「掃除は汚いと思うところからするんだよ。」
すると、キョロキョロし始めました。が、よくわからない様子。
「きれい」「きたない」の判断が自分でつかないのです。これは感性です。
助言として「ヒント!ゴミは端に寄っていきます。」とだけ言いました。
まず、このクラスの問題点が見つかりました。

しばらくして、昇降口のマットが汚いのに気付いたので、「マットきれいにしようや!」と声掛けをしました。
思った通り表だけを拭いて元に戻そうとしています。(嫌がらずにひざまずいて拭いているのです。大したものですね。)
私「表と裏はどっちが汚いと思う?」
生徒たちはマットをひっくり返しました。
生徒たちは「わー!きたねー」と歓声をあげます。
そして同じように雑巾で拭きだします。土が粘りついているので、拭いても土が取れません。逆に土を伸ばしている状態です。
すると「きれいにならんね」と言って元に戻しました(笑)
この学年の傾向として「すぐにあきらめる」というのがあることは知っていました。
なるほど次の問題点が見つかりました。

近くに水道もホースもあります。または、そばに私もいるのです。
工夫する、助言を求めるよりも、なかったことにする。という選択をしました。
しかし、子供たちだけを責められません。身の回りの大人たちの真似していることに違いないのです。
生徒がホースをつなぎジャー!と勢いよく土を弾き飛ばしだしたら、みんな楽しそうに見てました(笑)
私「箒かブラシで擦ると早いよ」
生徒は次々に参加してきます。
雑巾で水分を拭きとって終了。もちろん「きれいになった」ことは分かったようです。

これだけのことで片付けまで入れると50分かかります。現場で掃除、挨拶を徹底しろと言われますが・・・

鍵山相談役は言われます。「大切なことには時間がかかる」と・・・

短時間で済ます方法はあります。こちらが脅迫して怒鳴り声をあげながら指示をすればよいのです。
そして生徒は「やらされた」「言うことを聞いていればいい」「掃除面白くない」と思うだけなのです。

なにも「学ばない」ということを「学ぶ」のです。

 

ゆっくり教育したいなー。

 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    あだち すすむ (月曜日, 10 4月 2017 18:17)

    尊敬する宗教者は、ほとんど外出されません。けれども「わしは、毎日色々な仕事場で働いておるんじゃ」と常々申され、あるとき理由を聞きました「あのなー、今朝もサラリーマン、主婦や学校の先生、経営者や学生と大勢お参りにきて、わしと神信話をしてそれぞれの持ち場に行った。わしは、動かないがわしの願いを受けとめたみんなが実践してくれるんじや」そのことなんじゃ。
    若者を育てる教育現場の藤野先生は、将来の社会を担ってくれる人材と向き合っておられると思います。わたしは、みなさんの健康を補うたまごに懸命です!

  • #2

    藤野 (月曜日, 10 4月 2017 21:15)

    あだち 様
    コメント有難うございます!その通りですね。
    人と人を繋ぐもの、つまり媒介するものに着目するとそのものの働きの本質が分かることがあります。
    私の仕事は「ことば」を伝え残すことだと考えます。ものつくりをする方は「もの」でしょうね。あだちさんは「たまご」ですね。
    「もの」が「かたり」をすると「物語」になります。